1978年(0歳)
東京都で生まれる。その後、すぐに千葉県船橋市、市川市へと引越し。
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1981年(3歳)
朝、三輪車で独り冒険の旅に出る。
川を越え、近所のおばあちゃんの家の庭を横切り(おばあちゃんが通してくれた記憶があるんだ)、
近所のお姉さん(小学生か中学生)に励まされながら、夕方頃、 ついにぼくは巨大な団地へと到着した……。
……というかそこで保護された(笑)
親は真っ青になって捜していたらしい。
大学生になって、そのとき住んでいた家に戻ってきたのだけど、
家から団地まで、1kmもなかった。自転車で5分の距離。
あの頃はそこまで行くのに1日かかったんだなぁ〜。
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1993〜1996年(15歳〜18歳)
愛知県名古屋市での高校時代。真面目に勉強したのは、1年生のときだけ。
2年生になるとき、文型と理系の選択で理系を選び、
共学なのに女子がいない男子クラスとなり、ほぼ学級崩壊(笑)。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」状態となる。
当時、柔道部に在籍していたのだけど、真面目にやるはずもなく、
部室で麻雀、スーパーファミコン(当時、プレイステーションはまだ出たばっかり)の日々(笑)。
結局、先生に見つかり(妙に電気代がかかっていたらしい……)、
男子は全員クビ(アホだ〜)。
無事卒業するも、大学は見事全滅……(涙)。 |
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1996年〜1998年(18歳〜20歳)
2年間浪人生活をおくる。
当時からちょっと人生について悩むようになる。それまでは、本当に何も考えずに生きてきて、
中学を卒業したら高校へ。高校を卒業したら大学へ。大学を卒業したら社会人にというような
ありもしない世間が作った見えないレールを無意識に進んでいた。
自分で生きてるようで、自分で生きていない。
ベルトコンベヤーに乗せられて、運ばれる工業製品のようだった。
そんなことを考えていたぼくは、当時、心理カウンセラーになりたいと思った。
人の痛みがわかる人になりたいって思っていました。
……そんなことを考えつつも受験勉強はぜんぜんやる気がなく、ほとんど麻雀をしていた。
当然、大学には落ちまくる。その数およそ30校(アホアホですなぁ〜)。 |
1998年(20歳)
淑徳大学に何とか拾ってもらい、親と一緒に千葉県市川市に戻ってくる。
こっちに来ると当然ながら友達がいない・・・。ぼくはそれまで本当に友達に恵まれていて、
そのおかげで、自分が見たくない現実を見なくてすんだんだと思う。
ぼくの見たくない現実。
それは家族のことで、ぼくの両親はいつも喧嘩が絶えなくて、
ぼくはその間でいつもお互いの言い分を聞きながら、「ちゃんと話そうよ!」ってことを言っていた。
そんなこともあり、「ぼくはいったい何のために生きてるんだろう、存在する意味がわからない・・・・・・」
と深く思い悩むようになり、生きていくことが苦痛になる。
そんな思いを吐き出すように、詩やら文章やら書いていた。
そんなこともあり、将来は物書きになりたいなと思うようになる。
それから2年半、欝っぽい状態となる。
その間、原因不明の(たぶんストレスだけど)胸痛や腹痛に悩まされるようになる。
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1999年(21歳)
引きこもっていたわけではなく、大学には通った。
その頃、市川市の中央図書館に通うようになる。
それまで、マンガと雑誌しか読んだことがなかったが、本の魅力にはまる。
そこで、中谷彰宏さんの『大学時代しなければならない50のこと』(PHP文庫)という本
と運命的な出会いをする。
自分もストイックなことをやってみようと経済の勉強を始める
(今思うと、本当の意味で勉強をしたのはこれが初めてだったかも……)。 |
2000年(22歳)
立教大学経済学部経済学科に3年次編入学する。
このとき受けたのは立教大学1校のみだった(人生って不思議だね〜)。
「環境を変えれば人生は変わるのかな?」と思ったのだけど、そうでもなく、半年くらい
欝っぽい状態を引きずる(実際はその後かなり変わったなぁ。結果ってすぐにはでないんだよね〜)。
その頃、衆議院議員選挙があり、知り合いの政治家のボランティアをする。
選挙後、「インターンをやらないか?」と誘われるが断る(もしここで、
インターンをしてたら、起業家ではなく、政治家を目指していたかも……)。
そして、秋。
その頃から何となく、欝っぽい状態を脱したように思う(どうすれば欝っぽい状態から脱出できるのか?
ということを知りたい人がたくさんいれば、別に書こうと思います)。 |
2001年〜2002年(23歳)
市川市の立教のOB会で、現役生の会を設立して代表となる。
このことが後の人生に大きく影響してくるのであった……。
就職活動で、マスコミ業界(主に出版社)を目指す。
「編集者になって、将来的には作家になる!」というのがその頃のビジョンだった。
……が、当然のように落ちまくる(涙)。
50社以上落ちるが、諦めが悪いため、出版社を目指して就職活動し続ける!
11月末頃、母親から、ある新聞記事を見せられる。
『大学生が地域の問題を解決しようとまちづくり会社設立!』
その記事こそが、有限会社学生ネットまちづくり(現有限会社まちづくりねっと)との最初の出会いだった。
その後、メールで連絡をとってメンバーと会い、学生の会議に参加するようになる。
メンバーを支援していた会社でインターンをするようになる。
そして、12月。ついに某出版社に内定!
しかし、内定をもらったものの、そのまま出版社に行くか、
それともインターンを続けるか迷う。
「このまま出版社に行ったら、オレはサラリーマンとして、
終わってしまうのではないか?」不意にそんな思いがよぎり、
インターンを続けることを決意する。
ちなみに、その出版社の初任給は約23万円。
インターンは交通費のみ支給でした……(涙)。
そして、共に就職活動でマスコミ系を目指した彼女とも別れました(号泣)。 |
2003年〜(24歳〜)
インターンを辞め、市川市で学生ネットまちづくりのメンバーとして活動を始め、
現在にいたる。 |
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